違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

物流が途絶える時①

東京一極集中が加速し、そのあおりで周辺都市を巻き込み首都圏として膨れ上がっている。
 
また、戸建住宅からマンションへ生活の拠点がシフトしている。
 
かって、都心より郊外を求め移り住んだ人の都心回帰も進んでるようだ。
 
理由は、短い距離の中に必要な施設が揃ってること、便利であること、時間効率が良いことなどが挙げられる。
 
地方もこの傾向があり、それぞれの地域の最大都市の人口は増えている。
 
この現象は同時に、人が減ってる地域が増えてることを意味する。
 
ここ数年で聞くようになった言葉がある。
 
 
 
人が減るから機能しなくなる、上から目線のお上の発想的既存の仕組みだ。
 
年貢が取れないから「や〜める」ってことだ。
 
この自治体が減るということに対しては、こんな見方もある。
 
 
人が減るから止めるというのは、それが行政のサービスでも民間のビジネスでも、コストが合わないからだ。
 
廃線になる路線が出る時、「惜しまれながら」という枕詞が付くことが多いが、惜しいと思ってる多くの人がそもそも使わないから廃線になるのだ。
 
 
夏草や兵どもが夢の跡ってことだろう、東京もいつかは・・・。
 
 
 
人が集中すると、多くのサービスやビジネスの一人あたりのコストが採算に合いやすくなる。
 
今の日本では、コンビニや量販店で売ってる商品は都心であろうと地方の田舎でも同じ値段だ。
 
これは、多くの商品が消費地である都心の近くで生産されてれば成立しないだろう。生産は地方で、人件費や運営上のコストが安くでき、別途輸送のコストが発生するから全体で平準化が可能になるのだろう。
 
もっと言えば、全国一律東京価格なのだ。
 
所得の多い少ないに照らせば、東京では安く売り、地方では高く売ってることになるが、衣食住の住のコストが東京はすごく高いことを考えればトータルの負担感に大きな違いはないだろう。
 
良く出来てる。
 
この全国どこでも同じ価格のなかで生活してると気付かないが、すごく田舎に旅行したりすると、日用品をとんでもない値段で売ってる店があったりする。
 
しかし、よく考えてみると1日に売れる商品もしれてるし、仕入れの段階で輸送のコストが割増になってたりして値付けもそれなりになるだろう。
 
一定の採算ラインに乗らなければ出店しないだろうし、採算ラインを割れば撤退だろう。
 
その基準は売上であり、客数であるだろう。
 
売る側の視点でみた話だ。
 
 
では、買う側の視点で見ると、売ってるものの値段は一緒。
 
問題は、買いに行くコスト、宅配利用だと送料と決済費用だ。
 
買いに行くコストの許容範囲が問題だ。
 
歩いて行ける範囲が充実してればコストは0だ。
 
地方で、そこしかない店がなくなった場合が大変だ。
 
 
物流の発達が便利を加速させかつ安くを実現した。
 
物流の発達が実現したのは、売ることの充実だ。
 
今直面してるのは、買うにつきまとう問題だ。
 
売るに関わる物流は、大型トレーラーがいっぱい走ってる姿を連想させる。
 
これに対し、買うに関する物流は軽自動車の宅配を連想する。
 
宅配の軽の数が本当に増えた、これはドライバー自体が増えたことを意味する。
 
 
この宅配のドライバーに高齢者をよく見かける気がする。
 
普通免許で良いから、参入はしやすいだろう。
 
結果ピンからキリまでになるだろう。
 
大型のトレーラーのドライバーも若い人が増えてる気はしないが、免許の関係で参入障壁は高いだろうから一定の水準は保てるかも。
 
宅配のドライバーは、大変な仕事だと思うよ。1日何件回るかわからないけどストレスも高いはず、一見大変そうに見えないところが
 
つらいところだ。
 
買うを支える、宅配のドライバーを見てると持続可能性が低いと感じる。
 
買い物弱者を支える物流弱者に見える。
 
 
 
物流が途絶えるというテーマを思いついたとき浮かんだことは、どこでどの程度の大災害が起きると致命的に物流が途絶え、東京や首都圏の機能がストップするのだろうかということだった。
 
東日本大震災は大災害だったが、東京に致命的なダメージは与えなかった。
 
 
次に発生する大災害は、南海トラフ巨大地震と関東大震災。
 
今語られてないような見方ができれば、同じテーマで書いてみたい。
 

 

 

だから今回も①をつけておく。